加藤哲夫さんご逝去の報に接して
- 2011/08/27
- 19:00
せんだい・みやぎNPOセンター代表理事の加藤哲夫さんが、昨日8月26日(金)ご逝去されました。http://www.minmin.org/archives/1036
加藤哲夫さんとの出会いがなければ、道州制.comは存在しなかったであろう。
社会を良くしたいという熱い信念のもと、常にものごとを人の気持ちと思考に落とし込んで、どう行動したらいいかの精神と技術を教えて下さる方であった。
2002年2月一新塾での加藤さんを講師としたワークショップ。私たちは道州制実現のテーマでプレゼンを行った。
「○○が首相になればいい」「マスコミがとりあげればいい」評論家的な意見に終始した私たちに対して、加藤さんからは厳しいお言葉を頂いた。
「これはワークショップとは言わない。」
「ワークショップとは、自分たちが何をするかだ」
その日の夜、二新塾(会食)の場で、又、加藤さんは一言おっしゃった。
「ものごとを成すには、自分でお金を払う位の意気込みがないとできない」
その時、荒井君という大学生が、突然言い放った。
「じゃあ、ボクが道州制のために5千円出しますよ」
大学生が出すんじゃ、俺も俺もと6人の仲間がお金を出して、3万円が集まった。これで、当時流行り始めていたHPを作ろうという事になって、その夜のうちに道州制.comが発足した。
勿論、私たちの中には、前々から日本を変えるには道州制が必然だという思いはあったが、それを自分たちが実現するとまでは考えていなかった。私たちの必然を、加藤さんの言葉が魔法の様に導いたのだ。
それ以降も、活動がうまくいかないと加藤さんによく教えを請いに伺った。
東京での講演の前後などに、押しかけた我々にいつも快く、そして的確にアドバイスを下さった。
加藤さんは日本全国年間150本の講演に加えて、多くの執筆をなさっていた。
「藤井君、文章というのは体調が悪い時や、睡眠が取れない追い込まれた時にいいものが書けるんだ」と豪語されていた。
調子が悪くても前向きに捉えるためのお言葉であったかと思うが、やはり身体に無理がきた部分もあると思う。
今年のGWに一新塾の森嶋代表と2人で仙台の病院にお見舞いに伺った時がお目にかかった最後となった。
この時に初めて加藤さんから依頼をされた。
「道州制.comで、脱原発.comをやってくれないか?」
加藤さんはただただ即停止というのではなく、「十年単位で既存原発を閉じて、新規原発を作らない形なら、経済への影響も少なく、国民のコンセンサスも取れる」と提唱されていた。
その後、私たちは9人のメンバーで「日本のエネルギー検証」の活動をしている。
加藤さんに言われたままでなく、どの方向性がいいのかを自分たちで考え、資料や現場視察で調査し、政策を発信するつもりだ。
恐らく、加藤さんも自分たちで考えて実践することを望んでいると思う。
私は今、アメリカ出張中で、情けないことに師匠の葬儀にも出席できない。ただひたすら祈るしかない。
加藤哲夫さん安らかにお眠りください。あとは、私たちが頑張ります。
道州制.com
代表 藤井秀一
加藤哲夫さんとの出会いがなければ、道州制.comは存在しなかったであろう。
社会を良くしたいという熱い信念のもと、常にものごとを人の気持ちと思考に落とし込んで、どう行動したらいいかの精神と技術を教えて下さる方であった。
2002年2月一新塾での加藤さんを講師としたワークショップ。私たちは道州制実現のテーマでプレゼンを行った。
「○○が首相になればいい」「マスコミがとりあげればいい」評論家的な意見に終始した私たちに対して、加藤さんからは厳しいお言葉を頂いた。
「これはワークショップとは言わない。」
「ワークショップとは、自分たちが何をするかだ」
その日の夜、二新塾(会食)の場で、又、加藤さんは一言おっしゃった。
「ものごとを成すには、自分でお金を払う位の意気込みがないとできない」
その時、荒井君という大学生が、突然言い放った。
「じゃあ、ボクが道州制のために5千円出しますよ」
大学生が出すんじゃ、俺も俺もと6人の仲間がお金を出して、3万円が集まった。これで、当時流行り始めていたHPを作ろうという事になって、その夜のうちに道州制.comが発足した。
勿論、私たちの中には、前々から日本を変えるには道州制が必然だという思いはあったが、それを自分たちが実現するとまでは考えていなかった。私たちの必然を、加藤さんの言葉が魔法の様に導いたのだ。
それ以降も、活動がうまくいかないと加藤さんによく教えを請いに伺った。
東京での講演の前後などに、押しかけた我々にいつも快く、そして的確にアドバイスを下さった。
加藤さんは日本全国年間150本の講演に加えて、多くの執筆をなさっていた。
「藤井君、文章というのは体調が悪い時や、睡眠が取れない追い込まれた時にいいものが書けるんだ」と豪語されていた。
調子が悪くても前向きに捉えるためのお言葉であったかと思うが、やはり身体に無理がきた部分もあると思う。
今年のGWに一新塾の森嶋代表と2人で仙台の病院にお見舞いに伺った時がお目にかかった最後となった。
この時に初めて加藤さんから依頼をされた。
「道州制.comで、脱原発.comをやってくれないか?」
加藤さんはただただ即停止というのではなく、「十年単位で既存原発を閉じて、新規原発を作らない形なら、経済への影響も少なく、国民のコンセンサスも取れる」と提唱されていた。
その後、私たちは9人のメンバーで「日本のエネルギー検証」の活動をしている。
加藤さんに言われたままでなく、どの方向性がいいのかを自分たちで考え、資料や現場視察で調査し、政策を発信するつもりだ。
恐らく、加藤さんも自分たちで考えて実践することを望んでいると思う。
私は今、アメリカ出張中で、情けないことに師匠の葬儀にも出席できない。ただひたすら祈るしかない。
加藤哲夫さん安らかにお眠りください。あとは、私たちが頑張ります。
道州制.com
代表 藤井秀一
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